毎日、緊張と感動の嵐でブログお休みしてました
東京オリンピックは、7月21日女子サッカー、ソフトボールから始まり、7月23日開会式を経て、はや2週間が経過しました。
今日もまた金メダルの速報がスマホにガンガン入ってきます。
ボクは毎日、朝から夕方まで、パソコン教室に通っている(何も今さらWordやExcelのスキルを上げなくても、という声があります)ので、生で見れない競技も多くありますが、見れる時間帯の競技はほぼ見逃さずに見ています。
生きている間に2度の東京オリンピックを見れるというのは、ボクら世代はかなり幸せな時代に育ったものです。
日本が戦後復興から、いわゆる高度経済成長に入った時代です。
といっても、当時6歳のボクに東京オリンピックの記憶はほとんどありません。
女子バレーボールの「東洋の魔女」はある程度ボクが成長してから、きっと録画を見ただけです。回転レシーブによって無敵を誇ったというストーリーが何度となく語り継がれてきましたから。
ただひとつだけ、オリンピックのフィナーレを飾るマラソン(当時は男子のみ)は、ちゃんと見て覚えているのではないか、と思っています。
金メダルは「裸足の王者」で有名なエチオピアのアベベですが、銅メダルが日本の円谷幸吉選手でした。
円谷選手は、最後のトラックに入ってからイギリスのヒートリーに抜かれてしまうのですが、テレビの前でそのハラハラを感じていたと思います。
その後、円谷選手はメキシコ五輪に向かって、日本の大きな期待を背負って頑張ります。
そして、メキシコ五輪開催の年の正月明けに「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書を残して、自殺してしまうのです。
本人の気持ちを軽々しく推察することは憚られますが、自衛官であった円谷選手にとって日の丸を背負うという想像を絶するほどの大きなプレッシャーであったのだろうと思います。
テレビの前で見ているだけでも心臓に悪いのに
今回の東京オリンピックでボクがもっとも緊張したのは、体操男子団体です
最後の橋本大輝選手の鉄棒まで、ハラハラドキドキなんてものではなく、持病の心臓が悪化するのではないかと思いました。
テレビの前で見ているだけなんですが。
日本のメンバー達には、不本意な銀メダルかもしれませんが、全員が初五輪で「金メダルまでもうちょっと」というのだから、“あっぱれ”あげたい。
体操男子個人総合も同じくらいハラハラしました。
それに比べれば、昨夜の種目別鉄棒はまだましでした。
きっと「橋本大輝はやる!」という自信がありました(自分が演技をするわけではないのに)
もちろん橋本選手は金メダルを取りましたが、ボクの心に強く残ったのは北園丈琉選手です
北園選手は落下しても、落下した演技からまた始めました。落下した技は飛ばさなかったのです。そして2度も落下してしまうことになります。
両腕の大怪我を乗り越えて五輪代表に選考されただけで凄いと思っていました
彼はダメになりそうでも自分に負けない。常に前を向いている
一体どんなメンタルをしているのか?!どうしてこんなメンタルを持てるようになったのか?!
必ず北園選手は3年後のパリ五輪に戻ってくる
橋本選手、北園選手、10代の二人はなんと頼もしいことか!
攻めているから強いのか?!
ならばボクは、守りに入っているから、背負うものもないのに、メンタルが弱いのか?
なんて、今さら考えてもしょうがないことに思いを巡らせながら、60代のボクは、いつものカフェでケーキセットを楽しんでいるのでした。
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